引き寄せは嘘なのか —「叶った人の話」を疑ってみた

引き寄せで叶った人の話、よく聞く。でも観察してみたら、その語られ方そのものに偏りがあった。嘘というより、物語の作られ方の話。

引き寄せは嘘なのか —「叶った人の話」を疑ってみた

引き寄せって嘘なんじゃないか、と思いはじめた頃、いちばん引っかかっていたのは「叶った人の話」だった。

セミナーやコミュニティで聞く「叶いました!」報告は山ほどあった。私はそれを聞くたび、「だから私もやれば叶う」と励まされていた。でもある日、その語られ方そのものに違和感が出てきた。

「引き寄せ 嘘」って検索した人がたぶん知りたいのは、「全部デタラメなのか」じゃなくて、「なんでこんなに叶った話が転がってるのに、私は叶わないのか」じゃないですか。私もそれだった。

3年やった元信者として観察したことを書きます。結論からいうと、嘘というより、物語の作られ方に偏りがあると思った。

「叶った人の話」しか聞こえてこない

考えてみると、当たり前のことなんだけど、コミュニティでは「叶った人」しか発信しない。

叶わなかった人は「まだ波動が足りない」と言われて静かにする。あるいはコミュニティから消える。語る権利が、結果的に「叶った側」にしかない。

私の周りに引き寄せを試した人はけっこういた。でも「叶ったよ!」と発信していたのは、たぶん2〜3割。残りは黙って続けていたか、消えていった。

叶わなかった人の声、聞こえてきましたか。

私には聞こえていなかった。でもいないわけじゃなかった。ただ、語る場が用意されていなかった。

これだけで、「叶った話」が空気の8〜9割を占める状況ができあがる。生存者バイアスという仕組みだと思う。

「叶った」の定義が、後から決まる

もうひとつ気持ち悪かったのは、「何をもって叶ったか」が話す人ごとに違うこと。

「彼氏ができた!」と言っても、それが望んだ条件の人じゃなかったら次は「条件はもう少し」と上書きされる。「年収が上がった」と言っても、上がっていたのが3万円だったりする。「断られたけど、それは宇宙が私を守ってくれた」も「叶った」にカウントされる。

「叶った」のラインが、結果から逆算で決まる。

これは嘘というより、定義のすり替えに近い。先に「叶った」と宣言してから、現実の中から合致するものを拾い上げる作業をしている。

物語は「あとから」作られる

私自身、3年の間に「これが叶った」と人に話したことが何回かある。

そのとき何をしていたか思い出すと、こうだった。

  • 良いことが起きる
  • 「あ、これは引き寄せかも」と思う
  • 振り返って、それに合うアファメーションや願い事を探す
  • 「これが叶ったんです」と語る

順序が逆なんですよね。願って叶ったんじゃなくて、起きたことに後から願いを当てていた。

これに気づいたとき、私はもう信者側として喋れなくなった。

嘘というより「証言の作られ方」の問題

ここが私の言いたいことの中心です。

引き寄せで実際に叶うことはあると思う。たまたま望んだことが起きる人もいる。だから現象として「全部嘘」とは言い切れない。

でも「叶った人の話」が空気を占有する仕組みは、観察するとかなり偏っている。叶わなかった人は黙る。叶ったの定義は後から決まる。物語は事後に編集される。

3年やってこの構造が見えたとき、引き寄せが嘘というより「証言の集まり方が偏っている」が一番近い言い方だと感じた。

嘘かどうかではなく、確認できるかどうか

「嘘か本当か」で判断しようとすると、たぶん永遠に決着がつかない。叶った人の話を否定する材料も、肯定する材料も、両方ある。

私は途中から判断軸を変えた。嘘かどうかじゃなくて、「再現性があるか・自分で確認できるか」で選ぶようにした。

これは諦めたわけじゃなくて、検証可能なほうへ移っただけです。

次に読む

物語の作られ方とは別に、引き寄せの理論そのものにも「外れない仕組み」がある。叶っても叶わなくても理論が壊れない、という構造の話を書きました。

引き寄せの「後付け解釈」が気持ち悪いと思った話

このブログを書いている人

引き寄せを3年ほど試して、やめました。アファメーション、瞑想、ビジョンボードなど、一通りやっています。うまくいった感覚も、うまくいかなかった時期も両方経験しました。

今は「仮説→行動→記録」で、現実がどう変わるかを見ています。このブログは、その記録です。

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今の状態に合わせて、無理なくできそうなことを選べます。

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